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読解問題には、読み方・解き方がある!
なんとなく読み、なんとなく解くことをやめて、論理的な解法を習得してください。

わかりやすい文章の書き方を知っていますか?
作文と小論文の違いがわかりますか?
上手に書くためのコツを学びましょう!

苦手な方歓迎!古文・漢文が、最短時間で、正しく読めるようになるために。文法の知識と読み方とを丁寧に解説します。

慣用句や四字熟語はもちろん、和歌・俳句から文学史まで。国語に関して知っておきたい知識を、わかりやすくまとめてあります。

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仕事について

 講師の八柳です。

 わたしはながいこと無職でした。家事をしながら、一日中本ばかり読んでいました。小学館の、日本古典文学全集というのを安く手にいれて、古事記から、おしまいの巻まで読みとおしました。そしてこの塾につとめはじめました。

 

 

 天気がよければ、池袋まで行きました。猫たちの多く住む公園がありました。猫たちは、雨でなければほぼ毎日、わたしの出没を目撃しました。わたしは並木道を歩きながら、魔法のビスケットでもふやすかのような要領で、ポケットのあたりを高らかに叩いて音をたてました。すると、聴覚の敏い猫たちは、わたし固有の音を聞きわけて、むらむらとあちこちからつどってくるのでした。かれら彼女らは、いちように、耳の先っぽをちょん切られた「地域猫」たちでした。

 

 日暮れどき、わたしのよく会釈するおじさんや、おばさんたちは、スーツを着ていたり、すぐ隣にある大型商業施設の入館証をさげていたりしました。かれらのたずさえてくる布袋には、猫たちの夕食だけでなく、カップ酒や、即席ラーメン、スナック菓子などがはいっていました。公園の奥のほうに、いまでは撤去されてしまったかもしれませんが、ブルーシートの邸宅が乱立していました。そこから大勢の猫たちをひきつれて、あごひげのながいおじいさんがでてくるのでした。わたしはそのひとが姿をみせると、いつもそそくさと立ちあがったものでした。そして「もう行くの?」といぶかしむ大きなリュックのおじさんに、「重大なプロジェクトを任されているので」と愛想よく応じ、とっとと消えたものでした。

 

 わたしは、あの公園にいるあいだだけは無二の富者でした。休日など、だれもが猫と戯れたがるなか、すみの日なたで、もっとも多くの猫たちにうずもれたわたしは、もっとも多くの羨望をあつめる者でした。海外からの観光客たちに、どうか写真をとたのまれるようなことは茶飯事でした。サラリーマンふうの男性が、ちょっとしたおやつなどをもって猫の気をひきにくれば、わたしは余裕をもって一匹、二匹をわけてやりました。そして、またとない優越感を味わうのでした。

 

 

 裁判所に通いつめたこともありました。わたしは、ロースクールのまじめな学生のふりをして、なにも書くあてのないメモ帳を手に、神妙な表情で傍聴席にすわっていました。手錠をかけられた犯罪者が刑務官にひかれてくるのを目の当たりにしていると、なににも拘束されていない自由な両手の持ちぬしであるこのじぶんが、たまらなく誇らしく感じられてくるのでした。けれども、職業を問われた被告人が、「会社員です」などとこたえると、わたしの表情は、けわしく曇ってしまうのでした。

 

 

 わたしはすべての保護者さまを尊敬しています。仕事をして生きていくということは、なぜこんなにもむずかしいのでしょう。

 わたしは学生のころ、黄道上に存在する星座とおなじ数だけのアルバイトに挑戦し、そのすべてにおいて、一恒星年以内の退職を余儀なくされてきました。

 もつ鍋を調理すればキャベツとレタスを混同し、台車で弁当を売りにいけば段差でつまずき、横転。車道がからすの祝宴場と化すしまつでした。わたしに仕分けられた郵便物やペットフードのふくろは例外なくずたずたに裂け、複写された書籍は古文書同様に損傷し、使用された掃除機は二度と人間のいうことを聞こうとはしなくなりました。

 

 アルバイトですらそのざまですから、会社生活などつとまるはずもありませんでした。

 わたしは、大学院修了後、なぜか面接の通過できてしまった港区のコンピューター系企業に少しのあいだ、居すわっていたのですが、どうも体育会系の人びとをいらいらさせてしまうところがあるらしく、ひときわ熱心なご指導、ご鞭撻をたまわった結果、ソースコードよりも先に「鬱」というきわめて複雑な成り立ちの漢字の書きかたを覚えさせてもらうことになりました。名だかいカフカの断片で、「水泳のできない水泳選手」というのを読んだとき、「そんなばかな」と笑っていたわたしは、七年後、プログラムの書けないIT企業社員になっていたのです。

 ホームページの更新が滞りがちなのは、どうもあの「管理画面」というのを見ていると、十年前、ドンドコ物騒な打楽器の演奏つきで世のきびしさを説いてくださったありがたいK部長の大音声がよみがえってくるからなのですね。ミーティングでは、紅い旗にかこまれた反動分子のようなこともずいぶんさせられました。

 

 生徒さんがたでこれを読んでいるかたがいらっしゃるかどうか、わかりませんが、たぶんいないだろうとはおもいますが、大人になってから、立食形式の新入社員歓迎会などで談笑の輪にくわわらず、すみっこで、もくもくビーフカレーばかりかっこんでいる変わりものが目についたとしても、どうか不名誉なあだ名をつけたりはしないであげてくださいね。

 そっと、ほうっておいてあげてください。

 かれはついにひとことも発することはないでしょうし、妙な言いわけをして二次会への参加をこばむでしょう。

 自己紹介のために与えられた三分間も、ひたすら沈黙で通すでしょう。

 それは聖賢ぶっているのでなく、たんにことばがでてこないからなのです。交感神経系が、あまりに活発化しすぎているせいなのです。

 こんなとき、ちゃちゃっとなにか小話を披露して「どっかんどっかん」先輩がたを愉快がらせたいあなたは、いまから作文の練習をきちんとまじめに積んでおいたほうがいいですよ。

 わたしにはなんにも教えられませんけどね。

 

 わたしの知らぬ間に、周りのみなさんは近くのアジアンレストランでおしゃれなランチをしたり、休日にフットサルをして親睦を深めたりしていたようです。ビルの目の前のタリーズコーヒーで、フランス革命前夜さながらに、さかんな愚痴の言い合いもおこなわれていたようです。

 そうした文化風土に、わたしはどうしてもなじむことができませんでした――このタイミングでこんな話を切りだすと、なんだか青汁かなにかの宣伝番組じみていていやらしい気もしますが、あのとき、もしもわたしが読むすべや書くすべを知らなかったとしたら、こうしてしぶとく生きつづけるのとは、べつの解決手段をえらんでいたでしょう。

 もっと簡便で、あっけなく、そして、不可逆的なやりかたです。

 それはサクッと済むでしょう。

 けれどもわたしは、この世界から抜けだしていくことより、この世界を、再発見、もしくは再創造することを選んだのでした。そして、そちらの道へすすむにあたり、ゆいいつ身の助けになったのが、わたしにとってはことばを読む力、ことばを書く力でした。

 

 わたしは、いまでもうだつがあがりません。みなさんは、よくわたしの給料を尋ねられますね。わたしはそのたび、はぐらかしています。なぜなら、もしみなさんがその実額を耳にしたのなら、絶句せずにはいられないだろうからです。憐憫の情をもよおさずにはいられないだろうからです。

 わたしは、あわれまれながら物を教えさせてもらうのはごめんなのですね。けれども、それはわたしが卑屈になっているということではありません。車や、腕時計や、三階建ての一軒家、避暑地の別荘なども所有していなければ、おそらくは今後所有する見込みもない人生ですが、わたしはおおいに幸福です。

 本を読み、散歩して、みなさんとことばを交わす。たまになにか書く。預金残高を眺めても、憂鬱になることはありません。なぜなら、いまを充実して生きているからです。

 もし現実が、物質だけから成っているのなら、こうした心境はついにわたしにはおとずれなかったでしょう。

 わたしは、漠然とした「ふつう」へのあこがれと、失望とをくり返しながら、絶えずあせり、いらだち、悲しみ、不安に陥り、憎しみにかられながら、こころ安らぐことなく一生を駆けぬけたでしょう。

 なぜなら、そんなにまでわたしを苦しめる「ふつう」の正体を、ことばによらずして看破することは不可能であるからです。

 

 

 みなさんがこのままコツコツと勉強をつづけ順当に国語力を向上させていくならば、社会生活上出くわす文章のほぼすべてが難なく読みこなせるようになるでしょう。虫のいい儲け話の不整合に気がついたり、慇懃なメールにただよう底意を嗅ぎとったりすることも、造作のないこととなるでしょう。それが第一目標です。緻密さは大前提です。

 けれどもたまには、その先のことについてもどうか考えてみてくださいね。そこにあなたをもっと自由にしてくれる、なにかがあるかもしれません。



投稿者: フィロソフィア国語教室投稿日時: 2024年9月14日 13時25分