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優等生への道

 講師の八柳です。

 先日ある作文の賞に、ある生徒さんが興味をもたれたので過去の受賞作をいっしょに見ていたら、ある年度の、ある選考委員さんのことばが目に留まりました。「優等生の作文ばかりで残念だ」というのです。

 

 わたしはおどろきました。

「優等生」というのは、もっと希少なものだと思っていたからです(この塾には、ごめんなさい、ひとりもいません)。

 どうすれば、「優等生の作文」なんぞを書けるのでしょう。

 AIにおねがいして、一作書いてもらいました。

 お題は、「小学校高学年生の書きそうな、優等生の作文」です。

 

 

 

 

 私たちの周りには、いろいろな人がいます。肌の色、言葉、文化、考え方など、みんな違っています。この「多様性」がとても大切だと思います。

 

 まず、多様性は私たちの世界を豊かにします。たとえば、世界にはさまざまな食べ物があります。日本の寿司や、イタリアのピザ、インドのカレーなど、いろんな国の料理を食べることで、私たちは新しい味を楽しむことができます。友達と一緒に異なる国の料理を作ったり、食べたりすることは、とても楽しいです。

 

 また、多様性は私たちに新しい考え方を教えてくれます。学校には、いろいろな国から来た友達がいます。彼らの話を聞くことで、私たちの知らなかった文化や習慣を知ることができます。例えば、友達の中には、特別な祭りを大切にしている人がいます。その祭りの話を聞くと、私たちもその文化について興味を持つようになります。

 

 さらに、多様性は私たちを成長させてくれます。人は異なる考え方や価値観を持っています。それを理解し、受け入れることは、時には難しいこともあります。しかし、そうすることで私たちは、より大きな視野を持つことができると思います。友達との意見の違いを話し合うことで、自分の考えを深めたり、新しい発見をしたりできます。

 

 私たちの社会は、多様性のおかげで、より素晴らしいものになっています。違いを受け入れ、お互いを尊重し合うことが、平和な世界を作る第一歩だと思います。これからも、私たち一人ひとりが多様性を大切にし、仲良く過ごしていきたいです。

 

 私の夢は、みんなが違いを尊重し合い、協力できる社会を作ることです。そのために、私は日々、友達とのコミュニケーションを大切にし、多様性について学び続けます。私たちの違いを楽しみながら、一緒に素晴らしい未来を築いていきましょう!

 

 

 

 りっぱな文章ですね。

 

 まず、「多様性」というきわめて凡庸なことばに目をつけたところがすばらしいと思います。

「優等生」とは、ある枠組みのなかで、高い評価を賜っている人たちのことです。

 その枠組みをできるだけはみださないように気をつけましょう。

 空前絶後のことを言ってはいけません。

 独創性などはご法度です。

 みんなの言っているようなことを、みんなよりも少しだけ巧みな言いかたで言うようにこころがけましょう。

 

 

 つぎに、あなたの気配を消しましょう。

 できるだけ無味乾燥な文体、できるだけ中立的な文章で、できるだけ無難なことだけを書くようにしましょう。

 優等生に、自我など要りません。

 ある集団のなかで、その集団のルールをいちばん徹底的に「わたし」と同化させることに成功した存在、それこそが、優等生だからです。

 優等生は、じぶんでものなど考えません。そういうことは、野蛮な逸脱です。

「わたしはこう思う」「ぼくはこう考える」ではなく、「みんなはこう思う」あるいは、「チームはこう考える」。

 これこそが、優等生の思考方法というものです。

 

 

 この作文は、多様性バンザイ一辺倒で、ちょっと単純すぎますが、もう少しレベルの高いものを書きたければ、この「多様性」という概念について、あなたなりに疑問を表明してみてもよいでしょう。

 けれどもそれは、けっして行きすぎてはいけません。

 考えを、深めすぎてはいけないのです。

 なにかを疑うにしても、答えのでる範囲ですませなければいけません。

 深すぎる懐疑は、当たり前だと思っていたものごとの、見たこともないすがたをあらわにしてしまう恐れがあります。

 そんなものを見せつけられたら、みんなは不安になってしまうのです。

 ぜったいにゆるがないと信じていた常識というものの、存外なもろさや儚さがあらわになったとき、多くのひとびとは、けっきょくは怒りだします。

 怒ることは苦しみです。

 そんな苦しみを、なによりも、じぶんよりも重んじなければならないはずの「みんな」に味わわせるなど、優等生のなすべきことではありません。

 浅瀬でちゃぷちゃぷやりましょう。

 そのためにべんりなことばなら、たくさんあります。

「考えさせられた」とか、「痛感させられた」とか。

 そういうことをじゃんじゃん言っておけばよいのです。できるだけ当たり障りのないことだけを、できるだけかっこよく書きましょう。

 

 

 締めは安易にポジティブに。これも優等生らしい作文の条件のひとつです。

 人間は、変化や複雑性をきらいがちです。「今のままじゃだめだ」とか、「お前がこうだと決めつけてるこれ、ほんとうはこんなにむずかしい問題なんだぜ」とかいわれると、イラッとします。

 優等生たるもの、他人様をいらだたせるようなことはあってはなりません。啓発的なことを書くにしてもほどほどに、人びとの共感を得られる程度にとどめておいてください。

 知性のするどいひと、精神の繊細なひとにとって優等生になることは、じつは、ラクダが針の穴を通りぬけるよりむずかしいことです。

 三日くらい完全に徹夜したあとで、うんとぼやけた頭で書いてみてください。そうすれば、いいぐあいに薄っぺらな結論部分がでてくると思います。

 それでもまだお利口なことを書くのに抵抗のあるひとは、スーパーマリオの、スターの音楽でもながしながら、トゲ山の上でも走りぬけるような気持ちで、もうやけくそに書ききってしまってください。

 

 このように、優等生になるというのは、「じぶん」よりも「みんな」に就くことであって、ばかばかしいこときわまりないのですが、そのばかばかしいことを、恥もためらいも、迷いもたじろぎもおくびにもだすことなく、みんなよりもぐっと優美にこなしていけるのが最高の優等生というものなのです。

 これは努力や能力の問題でなく、気質というか性格というか、一種の、まあ才能といえば才能でしょう。

 

 教室に通ってくれているみなさんは、優等生になるためには、少々ちゃんとものを考えすぎています。

 

「ああでもない、こうでもない……」

「こんな可能性もある、こんな懸念もある……」

 

 意見ひとつを練りあげるのに二十分も三十分もかけている生徒さんがたを見て、わたしは時に心配にもなりますが、おおむね、頼もしく感じています。

 

 不良になってほしいわけではありません。あれはあれでけっきょく優等生とおなじようなことをしているのです。

 

 できるだけたくさんのことばに誠実な実感をともなわせながら、ゆたかに、しなやかに生きていってほしいものです。

 



投稿者: フィロソフィア国語教室投稿日時: 2024年10月11日 14時05分