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読解問題には、読み方・解き方がある!
なんとなく読み、なんとなく解くことをやめて、論理的な解法を習得してください。

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書くことについて 2

 講師の八柳です。

 火曜日19時からの中学生のクラスには、現在三名の生徒さんが参加してくれています。それぞれ、読解や作文など必要に応じた課題に取り組んでもらっているのですが、このあいだ、きわめて興味深い一幕がありました。

 

 ある生徒さん、仮にKくんとしておきますが、そのKくんはものごとをいろいろな角度から考察するちからがとても高く、どんなテーマに関しても自分自身の主張だけでなく、他のさまざまな立場からの意見も想定しながら慎重に筆をすすめてくれるのですが、先日、あるテーマにしたがって意見文を書いてくれたとき、どうもそのしあがりに納得がいかないようでした。

 

 そのテーマとは、「災害時、テレビ局は一律に通常放送を自粛して、被災状況の報道に徹すべきか否か」。

 

 最近でいうと、年明けから能登の地震で正月のお笑い番組などが放送中止になりましたね。あるいは、わたしなど真っ先に思いだすのは、もちろん東日本大震災のときのことですが、ああいうメディアのありかたを是とするか非とするか。

 

 Kくんの意見は「是」、つまり各局一律にバラエティ番組等の放送は取りやめて、災害報道に専念するべき、というものでした。

 

 根拠の部分を読んでみると、いま原稿が手もとにないため正確な引用でなく申し訳ないのですが、「広くテレビで報じることにより、ひとりでも多くの国民に関心をもたせ、募金や、ボランティアなど復興に向けた活動を促していくのが望ましいから」。

 

 なるほど……とは思うものの、わたしとしても、読んでいていまいち物足らないというか、いつものKくんの文章にはそなわっているなにかが欠けているような印象を覚えました。つまらない、とまではいわないものの、なんだか、ずいぶん平板な感じがするというか……。

 

 うーん……と原稿を手に考え込んでしまっていると、書いたKくんが、とつぜん、わたしにこう言ってきました。

 

「先生、だめっす。おれ、これ、なんかフツーのこと書いちゃってます」

 

 あっ! とわたしはおもいました。

 そうか、そういうことだったのか。

 

 話を聴いてみると、Kくんは、数日前アメリカの同時多発テロについてのドキュメンタリーを観たばかりで、いまは被害者や被災者、遺族のかたがたに百パーセント共感する以外の立場をとることができなくなってしまっているそう。

 

 いつものKくんの論じかたであれば、とうぜん、このあと「全面自粛」という状況の否定的な面についての検討に移っていってくれるはずなのですが、今回にかぎっては、個人的な感情のせいで、「是」以外の立場から考察することがむずかしくなってしまっていたのです。

 

 それで今回のKくんの作文は、いつもならある、厚みや深みのようなものを欠いてしまっていたのでした。すごく、一面的な論になってしまっていたのです。

 

 けれども、それは大した問題ではありません。わたしが今回Kくんにほんとうに感心したのは、Kくんが、

 

「先生、これ……すみません、このテーマ、また、今度にしてください。おれ、これ今後の課題にしたいっす。なんか、これ、もっとちゃんと書けるようになることが、おれの最終目標になる気がします」

 

 こんなふうに申し出てくれたことです。

 これはおおきな知恵だとおもいます。

 Kくんは、自分の理性がきかなくなってしまう瞬間に、気がついていたのでした。

 

 

 

 

 

 

 書くことを上達させる唯一の方法、それはとにかく、たくさん書くことです。

 たくさん書いて、たくさん、ひとに読んでもらうことです。

 そしてたくさんじぶんで読み返し、たくさん、書き直すことです。

 

 どうすればたくさん書けるようになるのでしょう。

 

 まずは、書くことのハードルを下げましょう。

 

「なにを書いてよいかわからない」という方。

 

 もしかしたらあなたは、無意識のうちに「書いてもいいこと」「書いちゃいけないこと」を区別してしまっているのかもしれません。あるいは、「書くほどのこと」と「書くほどでもないこと」を。

 いっしょに頭を捻ってみましょう。

「書いちゃいけない」「書くほどでもない」そう考えて、はじめから棄ててしまっているアイデアのなかにこそ、なにか題材がひそんでいるかもしれませんよ。

 

「よいものを書こう」「おもしろい作文にしよう」

 

 こういう考えをもってはいけません。まして、教師を感心させようだなんてぜったいにおもってはいけません。そのようなたくらみは、かならず、あなたの文章を再読に堪えないものにします。

 いまいち調子がわるくても、読者のウケもよくなさそうでも、とりあえず、決まった分量書ききることが大切なんです。

 よいものばかりを書こうとしていては、いつまで経っても書けるようにはなりません。

 どんな文章にも、魅力はあるものです。それはたいがい、あなた自身の気づかないところに宿っているのです。

 安心して、よけいなことは考えず、ただマス目をひとつずつうめていくことだけに専念してください。

 

 

 

「書きかたがわからない」という方。

 

 大丈夫です。書きかたなど、ありません。書くことは自由なおこないです。ほんとうは、けっこう不自由なところもあるのですが、その話をするのはきっとまだ早いでしょう。

 まずは、うかんでくることばをなんでもばーっと原稿用紙に並べてみてください。

 マス目がじゃまなら、白紙を用意します。

 中身はなんでもいいですよ。意見を書いても、物語を創っても。

 もちろんふつうに身近な出来事を書いてくれてもだいじょうぶです。

 オチなんかなくてかまいません。展開なんて意識しなくてオーケーです。

 とにかくたくさん書いてください。原稿用紙なら、一枚くらいはうめてください。

 白紙なら、文字の大きさにもよりますが、端から端まで書ききってください。

 

 書けたなら、いっしょに読み返しましょう。

 

 どうですか。

 読者のあなたから見て、書き手としてのあなたの魅力はじゅうぶんに発揮されていると思いますか。

「いまいちだな……」とおもうとしたら、それはなぜでしょう。

 

 どういうところに原因があるのでしょう。

 

 表現が、あいまいになってしまっているのでしょうか。

 論理のつながりが、わかりにくくなってしまっているのでしょうか。

 話の展開が、ぎこちなくなってしまっているのでしょうか。

 

 いっしょに「うーむ」と考えましょう。

 そして、誤魔化しのない対話をかさねましょう。

 そこではじめて、あたらしい語彙、接続詞の意義、「型」というものの効用、ひいては国文法についての知識(助詞への気配りで文章はぐっと精彩に富んだものになります)、こういったものについて学ぶ意欲も生じてくるでしょう。

 

 

 試験や課題などで文章を書くことがもとめられる場合、そこで試されているのは、できるだけ正確な、つまり規範的な日本語文を作成する能力です。

 

 これは、日本語話者なら誰にでもしぜんにそなわっている、というたぐいの技能では決してありません。おなじ日本語であっても、「なんとなく」で意味の通じる(通じたような気になっている)話しことばと、緻密な読解を要求する書きことばとでは、性質がまったくちがいます。

 

 正確な、わかりやすい文章を書くことは、誰にでもできることではないのです。

 その技術を向上させるためには、長年の、特殊な研鑽を積まなければなりません。

 

 しかしわたしは、同時に、「書く」という行為は、ひとつのドーナツのようなものだとも考えております。

 

「正確に書く」。

 

 それはたしかに、「書く」ことの中心に据えられるべき重要な心がけですが、ドーナツのまんなかに位置しているのがなにかといえば、それは、穴なのです。

 

 フレンチクルーラーやオールドファッションを食べるとき、穴から先に食べはじめるひとがいるでしょうか。

 

 そんなの腹もふくれませんし、おいしくもありません。なにより馬鹿馬鹿しいでしょう。

 書くことの苦手なひとが、いきなり型やパターンを身につけようとしているとき、これとおんなじことをしているようにわたしにはおもわれます。

 

 穴のかたちをとらえるためには、まずドーナツの全体こそをとらえなければなりません。

 そしてむしゃむしゃとかぶりつくのです。それが中心へとたどりつくいちばんの近道です。

 

 



投稿者: フィロソフィア国語教室投稿日時: 2024年9月28日 13時09分