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ベンキョウについて

 講師の八柳です。

 たまにはまともな塾の先生らしく、「勉強」のことでも書こうかとおもいます。

 それにあたって、ふたつの勉強をわけて考えさせてください。学校の勉強と、そうでない勉強と。

 後者の勉強こそ、わたしは、生きていくよすがになるようないとなみだと考えています。

 

 それは、あなたというひとに生きていくちからを感じさせてくれるものについて——昆虫でも魚でも、野球でも電車でも、戦闘機でもマインクラフトでも、推しのアイドルでも——どうすればより深く知ることができるのか、それをつねによく思考しながら、理知的に、かつ情熱的に、徹底的にきわめていくなかで、じぶん自身をもがつがつ変化させていく。

 

 すなおなおどろきや、知恵熱のでるような思索や、痛みをともなう自己破壊を数多く経験しながら、世界を、そしてあなた自身をより微細に、複雑に、明晰にとらえられるようなあなたになっていく。

 

 ものすごく野蛮で、過酷で、おそろしい、けれどもきっとあなたに自由を、ということは幸いを、もたらしてくれるにちがいないいとなみです。

 

 わたしはこの勉強を習慣とすることによってどうにかこの歳まで生存してきました。これからもつづけていくでしょう。

 

 これにくらべれば学校の勉強は、なんということはありません。ただの作業です。

ですからわたしは、これを「ベンキョウ」と呼ぼうとおもいます。今回、おつたえするのはこの「ベンキョウ」のやりかたです。

 

 

 

 

 みなさんいつもベンキョウお疲れさまです。

 学校で五時間も六時間も授業をうけてから、塾にまできてあれほど熱心に読解問題や作文の練習をこなしてくれているみなさんに、わたしは、こころから敬意を表します。

 もしわたしがおんなじことを義務づけられたら、三日坊主になる前に脱走してしまうでしょう。

 

 みなさんのうち多くのかたは、週に一度、二時間の授業を受けてくださっていますね。

 それだけで国語の成績が上がるかというと、上がると言いたいのはやまやまなのですが、じつは、なかなかむずかしいところなのです。

 

 家庭学習が不可欠なのです。

 

 そこでみなさん、まずは教室でしかやれないことと、家でこなしたほうがよいこととをわけて考えてみてください。

 

 教室でしかやれないこと、その筆頭として挙げられるのはたとえば、作文・小論文・記述答案の添削です。

これはご家庭ではむずかしいでしょう。

お書きになったものがあれば、ぜひ、わたしにお見せください。

そのうえで、いっしょに討議いたしましょう。

作文や小論文であれば、「どんなことが書きたかったのか?」

記述問題であれば、「どこをどう読んでこの答えにたどりついたのか?」

 あなたの考えを、わたしにお聞かせください。

それにもとづいて、わたしは改稿案をご提示いたします。

 

 

 気がかりな点について、すぐに質問ができるのも教室にいることの利点です。

 こちらでご用意した課題についてはもちろんですが、家で読んでみて納得のいかない参考書や問題集の解説、取り組みかたのわからない学校の課題、模試やテストの直しなど、ベンキョウにかんする疑問でしたら、どんなささいなことでも、ためらわずにぜひご相談ください。

 

 わたしは他のあらゆる分野についてはまたとないほどのぐずですが、割り算ができなかったり、大谷翔平を知らなかったりして生徒さんにからかわれるのも茶飯事ですが、国語のことについてなら、多少はましなこともいえるはずです。

 

 大学受験生までのみなさんが疑問におもわれるようなことについては、手も足もでないということは、まずありません。かりに即答のできないようなことがあれば、きちんとしらべてからお答えします。

 

 頼りなく見えるでしょうが、どんどん頼ってみてください。

 

 それでいよいよ「こいつはだめだな」となったら、そのときは、しかたがないので退塾をご検討ください。

 

 

 質問は、寺子屋式教室など複数の生徒さんがべつべつのことをしていらっしゃるクラスではすぐに対応できないこともありますが、いつでも、いくつでもしてください。

 あいまいなところは、ほったらかしにしないでください。

 

「こんなこと聞いていいのかな」

 

 などという心配は、無用です。

 わたしは、みなさんが何度おなじところで間違えようと、どれだけ長時間考えこんでしまおうと、叱ることもなければ、イライラすることもありません。

 

 ベンキョウは、たかだかベンキョウではないですか。

 

 そしてわたしもあなたも、ひとりの人間ではありませんか。

 

「さっき説明してもらったばかりなのに、わるいな」

 

 こんなふうにもおもわないでください。

わたしも、口下手でほんとうに申し訳ありませんが、すこしでも理解のきっかけをつかんでもらえるよう、わたしなりに工夫してご説明いたします。

 

 

 

 さて、教室での二時間は、朱のはいった文章の書きなおしやその講評、質疑応答を交えての記述答案の作成などをしていると、じつに、あっというまにすぎてしまいます。

 

 ここからは、家庭学習の領分です。

 

 もしほんとうに、国語の成績を上げたい生徒さんがいらっしゃいましたら、わたしに、次回の来塾までのスケジュールについて、こと細かにご教示ください。

 

 一日に、どれだけの時間を国語の勉強に割けるのか、それを「だいたい毎日三十分くらい」などとおおざっぱなかたちでなく、「月曜は何々の予定があるから二十分くらいで、火曜日は部活が休みだから一時間くらいはとれて……」などと、その日ごとにつぶさに教えてください。

 

 そのうえで、大目標とはべつに小目標を立てましょう。

 

 大目標とは、たとえば模試の偏差値をこのくらい上げたい、つぎのテストで何点とりたいなどといった、その達成にある程度の時間を要する目標のことです。もちろん志望校なども。

 

 それにたいして小目標とは、週ごとの目標です。

今週は「枕草子」を完璧にしたいとか、「夢十夜」をしあげたいとか。

そうすると、その週の一日ごとにやらなければならないことが見えてきます。

この日はワークを何ページまで終わらせて……。

この日とこの日は復習にあてられる……。

この日は時間がないから電車で作者にかんする知識でも覚えようかな……。

 

 

 こういったことを、いいですか、わたしが一方的に提示するのでなく、いっしょに考えることが大切なんです。

 

 

 計画の立案や修正をとおして、みなさんがたには、自分自身のことをより深く考える習慣を身につけてもらいたいのです。

 

「ぼくは忘れっぽいたちだから、復習に多くの時間を割くべきだろうなあ」とか、

「わたしはちょっとむりな目標を掲げすぎるところがあるのかも」とか、

「思った以上に集中がとぎれやすかったなあ」とか。

 

 いざベンキョウを実践してみて、感じたことはなんでもわたしに教えてください。

 より精度の高い計画を立てるため、いっしょに話し合いましょう。

その過程で身についた自己自身についての知恵は、きっと、将来「勉強」をはじめるときの、無二の味方になるでしょう。

 

 

 

 

 心構えについてお話しします。

 

 

 ベンキョウは、みなさん骨身に染みてわかっていらっしゃるとおもいますが、苦痛です。

 退屈です。

 

 そういうものなんです。

 

 勉強がつまらなく感じられる場合、そこになんらかの問題がひそんでいることが多いものですが、ベンキョウのほうにかんしていえば、つまらなくってあたりまえです。

 

 そういうものだとわりきって、ただたんたんと、計画通り、日課をこなしつづけてください。

 

 ひと月くらいもつづければ、「やらないとなんか気持ち悪い」状態になるのではないでしょうか。

 そうなればしめたものです。

 ベンキョウは、あなたの生活の一部となったのです。

 スマートな雰囲気のあることばを用いれば、「習慣化」というやつです。

 ベンキョウに、意義など要りません。お腹がすいたらご飯を食べる。眠たくなったら寝床にはいる。それとおんなじです。

 

「こんなことして将来なんの役に立つんだろう?」

「ぼくの人生にとってどんな意味があるんだろう?」

 

 そう考えてしまう気持ちはよくわかります。ですが、それはベンキョウにおいてはたんなるさまたげです。

 

 どんなことでも、あなたしだいではじゅうぶん役に立たせられますし、そもそも益・無益だけでものごとのなんというか価値のようなものをはかろうとする発想には、わたしは手放しでは賛同しかねますが、それでも、理不尽な苦行のさなかに漠然とした不満の感情が、そういうことばをとって頭のなかで暴れまわるという事態なら、わたし自身も何度も経験してきています。

 

 ですが、これは勉強ではありません。

 ベンキョウなのです。

 つまらないものなのです。たかだかこれくらいのものの出来不出来が、かけがえのないあなたという存在の生のありかたを左右しうる一要素となっているこんな世界、こんな社会に生まれてきたことが運の尽きです。

 あきらめて、よけいなことは考えず、やると決めた課題に集中しましょう。

 

 よけいなことは考えない。

 これはベンキョウの鉄則です。

 

「テストで〇〇点とったら△△を買ってもらえる」

「この課題が終わったらyoutubeが観られる」

「終わらなかったら叱られる」

 

 こういう動機づけのしかたは、もちろん一概に否定し去ることもできませんが、わたし個人としては、あまり好ましいものとは思えません。

 

 期待であれ、恐怖であれ、なにか先々のことに思いをはせているあいだ、いまげんに取り組んでいる目の前の課題からは注意が逸れてしまっています。

 

 これは能率を大いに下げるでしょう。

 

 よけいなことを考えてしまったら、「あっ、いまよけいなこと考えてた」「気が散ってるな」と気がつけるようになってください。

 そんなじぶんを責めるのでなく、じっと冷静に観察してみてください。

 何度もそうして注意をひきもどしているうち、なにかがわかってくるでしょう。

 

 

 

 自責。これも大敵です。

 

「ぼくってあたまがわるいかも」

 

 こういう不安は、ひとをベンキョウから遠ざけます。

 まちがいを、認められなくさせてしまいます。

 

 不安に憑かれると、ひとは、なにか指摘されたとき、かーっと言いわけしたくなってしまいます。解説に、耳をふさぎたくなってしまいます。誤りを、なかったことにしたくなってしまいます。

 

 

 つらいですよね。日ごろ、することなすこと数字で評価される世界を生きているのですもんね。

 それは、ベンキョウができない=だめなやつ、という思いこみがそだってもしかたないですよね。

 

 でも、大丈夫ですよ。どうか安心してください。

 

 ベンキョウは、しょせんベンキョウです。

 

 できないからといって、あなたのあたまがわるいわけではありません。

 まして、人間性の問題などではありえません。

 

 あなたの話を聴かせてください。ベンキョウを、大げさにとらえすぎてはいませんか?

 

 勉強のことを考えてみてもいいかもしれませんね。

 

 あなたを「生きたい」という気持ちにさせてくれるものはなんですか?

 

 なんでもいいんですよ、ゲームでも、アニメでも、マンガでも。

 

 それとくらべると、いまあなたを苦しめているベンキョウは、あまりにもちっぽけなものに思えてきませんか?

 

 人生におけるベンキョウの濃度を、薄めてしまうのです。石ころを蹴とばすのに、大きな意味が要りますか?

 

 どうしたらよけいな不安なく、たんたんと集中して日課をこなしていけるのか、いっしょに考えていきましょう。

 

 



投稿者: フィロソフィア国語教室投稿日時: 2024年9月24日 15時45分